頑丈な檻の秘密


 ズボラであり、いい加減な事も平気で告げる成歩堂だがその言葉には不思議と信憑性がある。王泥喜は彼の言葉を守り事務所に籠城することにした。籠もって過ごすなら、自宅アパートでも良かったのだけれど、事務所を頼むと言われた手前、場所を選んだ。
 食糧等も持ち込んで殆ど外出せずに過ごした2日間だったけれど、今は王泥喜は警察病院へと向かっていた。受付を済ませて、約束した階の廊下へ脚を踏み出した王泥喜は眉を潜める。
 広めの廊下に置かれた長椅子に、響也が背を丸めて座っていた。
 虚ろな瞳はただ床に向けられている。軽く組んだ両手を膝に乗せている姿も、まるで覇気が感じられなかった。彼の背後には白いカーテンが覆っている硝子窓があり、人ひとりが覗けるだけカーテンには隙間が空いていた。
 そこから見ることが出来るベッドに横たわっている人物に王泥喜は言葉はない。だた、様々な思考がぐるぐると廻っている。

「…おデコくん…。」

 ふいに呼びかけられ、王泥喜は視線を彼に戻した。
 此処から見える入院患者に良く似た彼は、自分が入院してないにも係わらず色を落とした顔色をしていた。
「先生、そんなに悪いんですか?」
 コクリと小さく頷いて響也はゆっくりと立ち上がり、窓に指先だけを付けて中を覗き込んだ。
「今週の初めから昏睡状態が続いていたんだそうだ。僕に通達があったのは、一昨日なんだけどね。」
 響也はギュッと唇を噛み締めてから、言葉を続けた。それは、今にも喉から出できそうな嗚咽を我慢しているのだと王泥喜にはわかる。
「覚悟してたつもりだったんだけど、駄目…だね。」
「どうして、言ってくれなかったんですか。」
 籠もった王泥喜と響也の連絡手段は携帯しかない。会話を交わすうちに、どうにも響也の様子がおかしいと気付いた王泥喜が問い詰めた末に、響也はこのことを白状したのだ。
「僕らの事で、おデコくんに迷惑掛けられないよ。」
 困った顔で、それでも薄く笑みを浮かべる響也に王泥喜は苛立ちを隠せない。
いつもは澄んでいる青は、赤味を帯びて潤んでいた。頬だってこけているし、目の下には隈もある。
 ひとりでいる時には、泣いていた事が手に取るようにわかるのに、響也はその姿を自分から隠そうとするのだ。そんな格好の付け方なんて、見てると辛くなるだけだ。
「どんだけ酷い顔をしておいて、そんな事言うつもりですか?」
 キッと睨めば、眉は下がるけれどもそれだけだ。
「なんて思っても…やっぱり迷惑かけてるね。ごめん。」
「座って下さい。」
 王泥喜は響也の横に腰を降ろし、彼の手を引く。大人しく従って、しかし響也は視線を再び床へと戻した。普段、しつこい位に甘えてくるくせに、肝腎な時は自分で抱え込もうとする。
 両親を幼い頃に失っていた王泥喜は感情をお腹の中にただ黙って留めておく事と、その辛さがよくわかっていた。なんの解決にもならなくたって、吐き出してしまえば楽になることが沢山ある。なのに、どうしてこの人は…。
 頻繁に人の行き来がないらしいこの一角は、シンと静まり返っていた。王泥喜は、それを確認してもう一度響也の腕を引く。
 ぐいと強引に引き寄せて、胸元に頭を埋めさせる。
「辛かったら、辛いって言ってください。」
「辛いよ。うん、ホント僕、格好悪いなぁ。」
 王泥喜の腕のなかで、くぐもった声がする。「おデコくんだって、辛いのにゴメン。」
「俺の事はいいんですよ、アンタのお兄さんでしょ?」
「心配してくれて、ありがとう。」
 もぞもぞと王泥喜の中で頭が動く。気付くと、王泥喜も抱き締められていた。
「アニキはきっと大丈夫だよ。」
 大丈夫じゃないのは、アンタだろうにと王泥喜は大きな溜息を吐いた。 


 本当は、どんな言い訳をされても、一緒に連れて帰るつもりだった。

「仕事が忙しい」と言われれば「手伝いますから」と言うつもりだったし、「おデコくんに悪いよ」と返されれば「遠慮なんてアンタらしくない」と揶揄するつもりだった。
 病室の前を離れ待合室に場所を移すと、響也の表情は(普段にくらべて酷く疲れた様子だったけど)普段の笑顔を見せてきた。
 わざわざゴメンね。などと言いながら、自販機のジュースを薦めてくる。急いで来たから喉が乾いているのもあり、その申し出は有り難く受けて炭酸飲料を奢ってもらった。
 けれど、内心面白くない。恋人関係であることを差し引いて、立派に大人の対応をするコイツに憤りを感じ、そんな器量の狭い自分に尚更に苛立った。
 正直に全部さらけ出されたら全部受けとめられる自信なんかないし、困ってしまうのかもしれない。だからこそ、響也もそうしないのだろう。だけどふたりは相思相愛の思い合う仲のはずで、それでも心の奥を委ねてもらえないのはいかがなものだろう。
 
 いっそ、あのまま啼かずにはいられない事をしてやれば良かった。

 そんな不穏な思いすら浮かぶ王泥喜に、気付いているのかいないのか、響也はやはり穏やかな笑みを浮かべている。
「これ飲んだら帰りましょうか?」
 同じく紙コップを仰いでいた響也が、え?と視線をおろした。
「もう、帰っちゃうの?」
「此処にいても仕方ないですよ。身体壊したら後々困りますから。」
 王泥喜の言葉に、何故か響也は視線を彷徨わせた。ギュッと緊張にか腕輪を締まるのを感じて、王泥喜の脳裏に(?)が浮かぶ。
「わかってるよ、そんなの。おデコくんに言われるまでもないからね。」
 何故この会話でその返答なのか、王泥喜とキョトンと見つめ返す。
意図を即した訳ではなかったけれど、響也は慌てて言い訳じみた言葉を口にする。
「せ、せっかく来てくれたのに帰るんだなと思っただけだよ。」
「はい…?、それ俺の事、ですか?」
 王泥喜のどんぐり眼が大きくなると、響也が紅潮するのがわかった。と、同時にまた腕輪がギュッと締め付ける。 「一緒にいたいの僕だけなんだ。」
 プイとそっぽを向く横顔に、感想が出てこない。けれど、この状況で腕輪が締まるという事は…。王泥喜はすっと席を立ち響也を急かした。
 渋々といった顔で病院を後にする男に、王泥喜はさりげなく声を掛ける。
「夕食何が食べたいですか? 泊まりに来るんでしょ。」
「え、その…オムライス…。」
 小さく呟いた声に、王泥喜は苦笑した。



「俺も自宅に帰るの久しぶりなんですよ。」
 近所の小型(?)スーパーで買い出しを済ませると、店の外で待っていた響也に声を掛けた。ある意味、犬なんかよりも店内を騒然とさせる要素のある男なのだが、本当にペットの犬みたいな扱いだったので、王泥喜は機嫌を伺うように響也に苦笑した。
 躾の行き届いた犬のように、王泥喜を待っていた響也は歩き出した王泥喜に寄り添い歩き出す。
「そう、なんだ? 仕事…あ、成歩堂の…。」
 ゴニョゴニョと口を濁し、指でもってサングラスを引き下げる。
 自分が仕事による多忙のはずがない事を認識されている憮然さよりも、直接見つめる碧眼が不機嫌の色をしていないので、王泥喜はホッと胸をなで下ろした。
「ええ。だから掃除してないんで、ちょっと汚いかもしれませんけど。」
「そんな事言って、おデコくんいつも綺麗にしてるじゃあないか。いい奥さんにななるだろうなって僕は思ってるよ。」
「現実として、掃除もしますしオムライスも作りますけど、俺も男なんで奥さんを娶りたい方なんですが?」
「僕だって男だ。」
 今更それを言うかと、王泥喜は苦笑した。そして、耳元に唇を寄せるべく少しだけ踵を持ち上げた。

「わかってますよ、やることやってるんですから。」

 ストンと足を地に戻した王泥喜を見つめる響也の耳は真っ赤になった。
「そ、それは…!」思わず声を張りそうになった響也が息を飲む。
 その直後、王泥喜の背中から大きな破音が響いた。
「な、なんだ!?」
 振り向いた王泥喜の足元に、粉々に砕け散った茶色破片と土。そして、花弁を道路に散らした薔薇が転がっている。
「…鉢、植え…?」
 反射的に見上げた建物は三階建てのマンション。
 屋上にあたる部分にガーデニングされている花々を認める事が出来た。よく見れば、手前に柵はあるものの、固定されていないものもある。そのひとつが何かのはずみで落ちたのだろうが、頭を直撃していたら間違いなく脳挫傷、打ち所が悪ければ即死だ。
 認識した途端、ぞぞぞと王泥喜の背中に冷たい汗が流れる。

…これって、訴えてもいいよな…。

 『危なかったわね』と周囲の歩行者が口々に騒ぐのを耳にして、王泥喜はこんな場面で真っ先に騒ぎそうな男が黙っているのに気がついた。
「検、事…?」
 真っ青な顔で凝視する顔は、確かに強張っている。周囲の声も耳に入っているのか怪しい。色々思う処はあったが、王泥喜は場を離れる事を選んだ。
 響也の手をぐっと握り強引に歩き出す。大人しく付いてきてくれた事には安堵した。
「大丈夫、ですよ? 怪我ないですし、でも危なかったなぁ、はははは…。」
 暫く歩いていれば、我に還ったらしい響也が小さくゴメンと呟いた。
「別にアナタが悪い訳じゃないでしょ。でも、訴えてやる!とか大騒ぎされるかと思ったんでそれは…。」
 パッと手を振り払われ、驚いた王泥喜を響也の両腕が背中から抱き込んだ。

「今度は守るから、ごめん…ごめんね。」

 震える指に王泥喜は自分のものを絡めた。
「だから、アナタのせいじゃありませんから。」
「でも、法介までいなくなったら…僕、耐えられないよ。」
 何と声を掛けていいのかわからず、沈黙の時間を置いてから王泥喜は縋り付くように抱きつく男の背中に腕を回してやる。(大丈夫)と言い置いてから。
 


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